お風呂と清潔
お風呂に入ってる時間が短いのを「カラスの行水」と言う。
昔から「風邪引くから、カラスの行水じゃダメ。ちゃんとお風呂に浸かって100まで数えてから出て来なさい」と、言われた記憶がある。
ふと思う。
「清潔」なのは、長風呂派とカラスの行水派のどっちだろう。
清潔である確率が高いのは、カラスの行水派じゃないかな。
カラスの行水派の人達は、こまめにサッと入ってしまう人が多い気がする。
対して、長風呂派の人達は、下手するとお風呂にも入らず、シャワーも浴びず、歯も磨かずに眠ってしまうことがあるのではないか。
目が覚めた時に不快感を感じるので、自分は清潔なんだと勘違いしている。
実は私もこのタイプ。
お風呂は好きなんだけど、入るまでが面倒くさい。
歯も磨かなきゃいけない。
上がってからも髪乾かさないといけない。
それ、ぜーんぶ考えてると眠くなる。
お風呂に浸かるのは大好きなんだけど、その他の必要最低限のやらなきゃいけない事が多すぎる。
毎回、ドライヤーで髪乾かした後に「あーっ、やっと終わった。また明日だな」って思う。
「お風呂って最高。気持ちいいわー」とも思う。
また約24時間後にお風呂に入るんだなーって思いながら。
この瞬間だけ、1日がもっと長ければいいのになって思う。
だから、清潔なのと、お風呂に入ってる時間の長さとは関係ないんじゃないかなって、ふと思った。
気になる日常でのアナウンス
100円パーキングの精算の時の、
「✖️✖️バンが上がったのを確認してから〜」
ていう女性の声でのアナウンス。
それと、
車の運転中に、
「もうすぐ踏み切りです。ご注意ください」
って親切に教えてくれる女性の声でのアナウンス。
深刻すぎる。
「世にも奇妙な物語」が始まりそうで怖い。
あれ聞くと、毎回、若干の緊張感を感じて不安になる。
「私は、この踏み切りを渡ってしまっていいんだろうか」と思いながら渡ったり、踏み切り手前の道を曲がるから関係ないやってホッとしてたりする。
100円パーキングの精算時のアナウンスなんかは、ご当地のゆるキャラが喋ったっていいと思うんだけど。ディズニーランドのミッキーみたいに。
車の運転中のアナウンスも、
「もうすぐ踏み切りです」
だけでいい気がする。
あの「ご注意ください」が怖いんじゃないかな。
すんごく注意しないといけない気がして。
だから、だから正しいアナウンスだともいえるけど。
読み返してみると、常にビクビクしながら生きている自分の姿が見えてくる。
日常的にプチ虐待を受けている気分。
疲れますわ。
生きていくって。
もみわかめ
美味しそうな食べ物。
沢山ある。
そんな中で何が一番好きか聞かれたら。
今は、
「もみわかめと、炊きたてのごはんと、梅干し」
と答える。
もみわかめとは、薄い乾燥した塩味わかめを細かく砕いた、ふりかけのようなものだ。
小さいの一袋で、普通のふりかけが何個か買える。
高級品ではないが私ら庶民にとって安価なものではないと思う。
だから、たまに食べるもの。
卵かけ御飯や、お茶漬けのような存在感。
高級でもなく、安物でもない。
でも、素朴。
そんな人になれたらいいな。
外は雨。
これはいつか必ず止む。
どうか、
携帯会社が止めてくれてる
迷惑メールの雨も止みますように。
不自由
自分を表現するのって、なんて窮屈なことなんだろう。
そんな、ささやかな自由さえ、世の中ってとこは許してくれない。
「とかくこの世は生きにくい」
昔の人もそう思いながら生きていたのかな。
同感。
ひこうき雲が山の上あたりで重なってバッテンに見えた。
偶然が空にバツを書いた。
珍しいから写真を撮った。
私の気持ちと重なる。
爽やかな青空と白い雲のコントラストで救われる光景だけど、世の中を恨み呪いたい気分だ。
それは自分が今、バッテン交差点の真ん中にいるせいかもしれない。
なぜ、こんな思いしなくてはいけないんだろう。
なんでこんな目に。
そんな気持ちになったことはないだろうか。
私はしょっちゅうある。
しょっちゅうある。
悲しく沈む。
とかくこの世は生きにくい。
昔の人の感性が、悩める私を少しだけ慰めてくれる。
私にとって今はとても生きにくい。
上手に落ちた。
昭和から動いている工場は、錆びてツタが絡まり現実じゃなくてジブリのアニメの世界みたいだ。
煙突から出る真っ白なはずの煙は、先週とは180度違う方向に流れている。
こんなに黒かったっけ。
この日は風が若干強かった。
煙突のけむりが流れてく空の高い所は、きっともっと強い風が吹いている。
ってことは…
やっぱり。
地面にへばりつく桜の花びら達。
道の端っこに花びらが固まりて落ちている。
雨も少し降ったらしい。
昨日、チラチラと花びらが散り始めていた。
満開の桜が晴天の下ですこーし散るのは「綺麗だな」って感じる。
まだ桜は満開だから。
でも、寒くて風が強く吹いて雨も混じって。
そうして桜もスカスカしてくる。
当たり前だけど、咲く前のスカスカと違う。
「あー、寂しー」って思う。
そんな様子を見て、平安時代の貴族とかが得意げに「もののあはれ」とか雅とか言ってたっけ。
暇もてあまして、いろんな面で余裕ある人達が言う言葉だよ。
わたし「寒い」とか「せつない」ってしか感じない。
ふと見上げたら、
青空と煙突の煙と桜色のミックス。
ありがとう。
上手に落ちた。
実直スタイル
わたし、実直って言葉はあんまり好きじゃない。
意味は悪くない。
素直で律儀なことらしい。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」が最近、頭から離れない。たしか子供の頃、学校で全部暗記させられた。気になったので調べて読み返してみた。しみる。
これ、詩として書かれたものじゃなくて、だだのメモなんじゃないか説があったらしい。私もそっちの意見に賛成かもしれない。
文章にある程度の長さがあって、念仏を唱えるのと似てる気がする。平仮名使わずに漢字とカタカナだけ。唱えながら感情を押し殺して自分を客観視する宮沢賢治の姿を勝手に想像してしまう。
「そういうものにわたしはなりたい」
モノは何者の者なんだろうか、ただの物体の物なんだろうか。宮沢賢治はきっと感受性が豊かな人だっただろう。そういうモノなんか存在しないってわかってるけど、世の中にうんざりして嫌気がさしてるときに、ふとそうなりたいって思う気持ち理解出来る気がする。
「そういうものにわたしはなりたい」
そこまで読み終えると、不思議と自分も悪くないなって思えてくる。少し自分を好きになれる。今の自分が笑えてくる。だってそんな人は存在しないんだもん。現状とか世の中とか変えること出来なくて生きてくってしんどいこと多い。ホント嫌だったんだろうな。無機質な漢字とカタカナの文章がさらにそう感じさせる。
唱えて目指せ。
宮沢賢治の、実直スタイル。
枯れた春、見つけた。
桜の写真を撮りながら散歩してたら枯れた春を見つけた。秋の植物達が元気だったまんまの姿で固まってる。
だけど、その “カレハル"の足元には疑うことを知らない春が芽生えていた。カレハルも根っこは、たくましく生きている。
芽生えたばかりのつくしと、このカレハルは今の自分みたいだと思った。
私は矛盾で出来ている。
春ってアンバランスな季節だと思う。
中学生の反抗期みたいに感じる。
それと同様に可能性を秘めているような気がする。
自然の素直さと忍耐強さ。
それが私が感じた今年の春。