元号ゆく年くる年

「平成は、あなたにとってどんな年でしたか?」

ぼーっとテレビを見ていると、そんな質問にいろんな人が答えている。

父が観る野球の他は、ほぼNHKが流れているテレビ。

 

5月からは、いよいよ令和に変わるということで平成の紅白歌合戦をざっくりと振り返っていた。

私は中高生あたりから中高年あたりまでを過ごしてきたみたいだ。

平成じゃなくても大きな変化があったであろう年代を過ごしてきた。

 

平成は私にとって『ひたすら変化とにかく変化』だった気がする。

新しい人達や物事に興味を持ち、新しい環境に身を置くことで自分を変化させてきた気がする。

今の中高生ぐらいの子たちも私と同じ様に変化が多い年齢を令和で過ごす事になる。

 

そんな子供たちの成長に振り回されるんだなと思いつつも視点を自分に向けてみる。

これから私が過ごす令和はどんな風になるだろう。

令和の最初はまだ平成の変化を少し引きずりそうな気がする。

例えば令和が30年続いたと仮定して30年後の私は80歳間近。

生きているんだろうか。

元気だろうか。

 

平成での変化は自分自身の成長でもあった。

じつは、自分が体験する令和がどんな風になるのか全く想像出来ない。

結局ずっと変化かもしれない。

自分はじつは常に安定を狙ってきたつもりなのにだ。

平成での教訓として、この安定したいという意識を改めなくてはいけないのかもしれない。

自分は令和でも変わっていくんだと考えると、逆に安定してくるんじゃないかな。

思いつきだけど。

 

元号が変わったって、自分の人生を生きていくことには変わりない。

完全に煮詰まった。

自分の未来を想像することに、もう夢を持てないことに気付かされた。

これが老化かもしれない。

恐るべしだ。