丕流行語大賞

世間には流行語ってありますよね。

これは、誰もが使いやすかったり使ってみたくなる言葉だと思うんです。

 

ここからは、狭いコミュニティーの中の話です。

こんな人にはなりたくないとばかり思っていると、いつかそうなってしまうように、

毎日聞いていると耳障りに感じらことがあります。その言葉が問題なのではなくて、

言葉を発するタイミングや、その人との現在の関係性からヤダなって感じるんだと思うんです。

 

この “丕流行語” が今の私にはあります。

家族の一人が放つ「よっしゃ」って言葉なんです。

これが嫌で嫌で腹たつんです。

それを聞くたびに、これはイメージなんですが、

あるテレビ番組のキャラクターの声で

「なーに言っとんじゃ」

って私の頭の中で、そのキャラクターが喋ってくるんです。

たぶん「よっしゃ」という私の丕流行語大賞で受けるストレスを無意識に発散させようとしてるんだと思うんです。

苛立ちを笑いに昇華。

 

詳しく書けないですが、

苛立ちの原因は、この言葉を発する裏側にあります。

これを聞くと、その人が自分達のことしか考えてないと感じます。

本人に言っても無駄なことも判明してます。

通じ合えないんです。

自分の事を、少しでも理解してくれてたり心配してくれたりする人には、こんなこと感じないだろうなと思います。

“丕流行語大賞”=“理不尽”ってことかな?

 

最近、この家の建物の湿度のようなものは感じなくなってきたんですが(実際の湿度は高いと思います)、いま同居してる家族の湿度をすごく感じます。

日常的な人間関係の湿度って嫌ですよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新境地

自分が育った実家で両親は未だに健在だ。

今のところ元気で介護の必要もない。

あとひとり自分の兄弟が、両親とずっと一緒に暮らしている。

私から見ると変わっている。

男の子って事で両親も特別扱いだったのは事実だ。

兄弟げんかもしたし、もちろん一緒に遊んだはず。

だけど、そういう接点の記憶がほぼない。

そんな関係性だから余計に感じる事なのかもしれない。

 

もう、血の繋がったこの家族とは、まるであかの他人のようだ。

自分は20年近くもこの家にはいなかった。

また子供連れて実家に戻って一緒に暮らし始めても、常に線が引かれているし、引いている。

比較的、気を使わなくていい同居人といったところだろうか。

 

“生活がべつ”

なんだと気づかされる。

一緒に暮らし始めても感覚的に、“生活はべつ” なのだ。

ご飯も一緒に食べてるし、お風呂も同じバスタブを使う。

でも、もう家族というより同居人に近い感覚で暮らしている。

 

暮らしてみてわかったこと。

完全に信頼してはいけない。

でも、どうしても頼まないといけないことはお願いする。

再び一緒に暮らし始めてから、両親とのぶつかり合いや喧嘩もあった。

そして自分と両親、自分と兄弟との価値観の違いや考え方のズレを再認識した。

寂しい事実なのかもしれないけど、理解して納得してしまうと案外気楽なものだと思う。

そこに自分自身をもっていくまでの過程がちょっとしんどかっただけだ。

そのしんどさは、もう忘れた。

 

この連休をこの人達と無事に過ごせるように動かなくてはならない。

自分達の食事の心配さえなければ、滅多なことで揉め事は起きないはず。

 

でも私は昨日の夜から胃腸の具合が悪い。

夕飯の揚げ物かな?甘エビかな?風邪かな?

今はまだちょっと気持ち悪くて食欲ない。

お腹空いたらお粥食べたいー。

誰も作らないよな。

体調悪い時の食事の支度って苦痛かもしれない。

体調悪い時の食事の本を久し振りに開いてみよう。

癒されるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元号ゆく年くる年

「平成は、あなたにとってどんな年でしたか?」

ぼーっとテレビを見ていると、そんな質問にいろんな人が答えている。

父が観る野球の他は、ほぼNHKが流れているテレビ。

 

5月からは、いよいよ令和に変わるということで平成の紅白歌合戦をざっくりと振り返っていた。

私は中高生あたりから中高年あたりまでを過ごしてきたみたいだ。

平成じゃなくても大きな変化があったであろう年代を過ごしてきた。

 

平成は私にとって『ひたすら変化とにかく変化』だった気がする。

新しい人達や物事に興味を持ち、新しい環境に身を置くことで自分を変化させてきた気がする。

今の中高生ぐらいの子たちも私と同じ様に変化が多い年齢を令和で過ごす事になる。

 

そんな子供たちの成長に振り回されるんだなと思いつつも視点を自分に向けてみる。

これから私が過ごす令和はどんな風になるだろう。

令和の最初はまだ平成の変化を少し引きずりそうな気がする。

例えば令和が30年続いたと仮定して30年後の私は80歳間近。

生きているんだろうか。

元気だろうか。

 

平成での変化は自分自身の成長でもあった。

じつは、自分が体験する令和がどんな風になるのか全く想像出来ない。

結局ずっと変化かもしれない。

自分はじつは常に安定を狙ってきたつもりなのにだ。

平成での教訓として、この安定したいという意識を改めなくてはいけないのかもしれない。

自分は令和でも変わっていくんだと考えると、逆に安定してくるんじゃないかな。

思いつきだけど。

 

元号が変わったって、自分の人生を生きていくことには変わりない。

完全に煮詰まった。

自分の未来を想像することに、もう夢を持てないことに気付かされた。

これが老化かもしれない。

恐るべしだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遣る瀬無い

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頭が痛くなった。

一体どうなってるんだ。

詳しくは言えないけど、今はそんな気分。

変。

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常識的に考えられない。

いい意味でじゃなくて悪い意味で。

そんな事に遭遇した。

あまりにも理解の範囲を超えていた。

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気づいたら車を運転しながら叫んでいた。

喉が痛い。

頭が重いっていうか疲れてる感じだ。

車を降りて写真を撮ってみた。

腐ったものや錆びたもの。

私が今日、遭遇した事実。

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洗濯板みたいな空。

雪道の最悪なタイプのわだちの様にも思える。

ガタガタ道。

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でも、どんな空でもやっぱり綺麗だと感じる。

私は私の道を行こう。

何にもしないで、何にも考えないで、

何とかなる事実ってどれくらいあるんだろう。

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どこまで楽天的であるか、

どこまで現実的であるか。

私の脳みそと経験だけでは、

いくら考えても終着地点には辿りつけそうにない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちょっとホッとした話

日記をつける代わりにブログを始めた。

だだの愚痴やその日あったことを書くだけなら毎日でも書ける。

でも、一応、一般公開を意識すると、毎日書くのは大変なんだと気づかされる。

どこまでならオッケーなんだろ。

そもそもそこら辺の判断が素人には難しい。

そこは見た人が判断するってことなのかな。

 

迷惑メールとして認識されてないメールを開いた。

携帯会社からのお知らせだと、同じものが何回か来たからだ。

開いてみると、いきなり男性のペニスがにょきにょきた生えてくる映像が。

下の方はキャッシング関係の広告らしかった。

まだまだ下がありそうだったけど、とりあえずにょきにょき生えてくるのを二度見して閉じた。

 

まだ、スマホは周りの誰も持っていなくて携帯だけの頃によくチェーンメールなんかが友達や知り合いから届いた。

その中に、こういう面白い画像ってあったなーと懐かしくなった。

もちろん、こんなの送ってきてほしくないし迷惑だ。

だけど、写真じゃなくて動いてるって事がその頃と違うだけで、世の中の意識って、下ネタ関係はあまり変わってないんだなってホッとしてしまった。

でも、ちょっとビックリはしたかな。

現実的に、いじめを無くそうとすると、ワンクッションはどうしても下ネタ関係になってしまうのかもしれない。

こういうのとは無縁な、ある意味本物の僧侶よりも僧侶らしい生活を何年も送ってきているのですっかり忘れていた。

 

芝生で遊んでいる絵に描いたような家族。

それを理想の家族の姿ととる男性と、そうとは限らないととる女性。

下ネタの受け取り方には、そんな男女の感性の違いを感じる。

ついでに言うなら、芝生で遊んでいる家族を見ても心底羨ましくはない。

その人たちが幸せである事は間違いないと思うけど、今は自分とは遠い世界のことに感じる。

そして、特に羨ましいわけではないって事は、今の自分は特に不幸なわけじゃないって事なんだなと思った。

幸せだとも思わないけど、不幸だという意識もない。

尼さんのようだ。

はやくも気分は隠居生活。

人生100年のUターン地点まで、まだ2〜3年あるんですけどぉ。

老いっ。

(オイッと掛けてみたよ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いじめ

『いじめ』について書こうと思ったのは、ちょっと前のことだ。

書くのやめようと思ってたけど、その時に思ってた事を書いてみよう。

 

いじめには、タイプがざっくり2種類あると思う。

表と裏。

表は、公衆の面前で行われる行為で、この行為には周囲の人々への警告などの意味も含まれている。

堂々としたいじめとでも言おうか。

裏は、今の時代なら端末なんかで陰で悪口のやり取りするといった行為だろうか。

 

なぜ、いじめがなくならないのかというと、集団の中に1人そんな人がると、自分はいじめられないという安心感が生まれるからだ。

そうなると、いじめの主犯格と思われる人が罪人のように思えてくる。

 

これは私個人の考えだけど、

いじめを仕掛けている人は下手すると1人とかの少数で、いじめる側のほとんどが集団の心理のようなものに忠実に行動してしてるだけなんだと思う。

空気を読んで情報を集めて上手く立ち回ろうとする。いじめの対象になりたい人なんて普通に生活してる人々の中にはいないからだ。

 

ビジネスという目的なしでも、人は繋がりを求める。

そうする事で安心して楽しい人生が送れるからだ。

なぜ、楽しい人生が送れるかというと、そこには他人と自分を比較したり、一緒に泣いたり笑ったりといった他人と共感する喜びを感じられるからだと思う。

そこには、自分が幸せかどうか常に確認していたいという人々の本音が見える。

 

だから社会に出ても、プライベートで他人との繋がりが無いと人々は不安になる。

要するに人間関係を円滑に進めるうえでのワンクッションていうのがいじめなんだと思う。

だから、いじめている側によくありがちな「そんなつもりはなかった」発言は必ずしも嘘では無いのかもしれない。

 

さらっと書いたけど、いじめられた方はたまったもんじゃない。

いい迷惑だ。

いじめは、程度の差はあれど、その人の人生を変えてしまう行為だと思う。

病気になったり死を選んだり。

そこまでじゃなくても人への不信感や警戒心が

強くなることもある。

 

しかしこれは、悪いことばかりではないのも事実かもしれない。

過去にいじめに遭ったけど、今は仕事で成功している人や幸せになってる人もいるからだ。

 

私は怖がりなので、今は人を信用することが出来ない。

若い頃は人を心から信じていた。

今思えばある種のいじめに遭っていたのかもしれないけど、それ以上に何かが作用していた。

無意識に他人の心を動かすっていう魅力が、若さや未熟さにはあると思う。

 

散々辛酸をなめて、なお生き延びなくちゃいけない人生100年時代。

だからこそ終活や働き方改革などが見直され始めてるんだと思う。

いじめも悪口も無くならないなら、自分の人生を少しでも豊かに過ごす工夫をして、言葉は悪いけど、利用出来るものは利用していこうよって感じなのかな。

いじめは一生なくならない。

まだしんどいもん。

人生にいじめはつきものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の太陽

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平成最後の満月だったっけ。

偶然だったんだけど、外に出てみたらキレイに見えた。

月も今日は注目浴びるってわかってるのかな。

自ら光ってるみたい。

夜の太陽だ!

ぐらいの力強さ、自己主張みたいなのを感じた。

 

そして、平成から令和になるって事は、

世代交代って事だなと改めて感じたりした。

太陽と月が逆転し始めたかのような空だったから。

 

昨日もすごく月がキレイだった。

東側の水色の空に、薄い金色っぽいアクセサリーのような月。

それのちょっと前には、西側で朱色の夕日が燃えていて、その上ぐらいから飛行機が白い線をひきながら飛んでいた。

とても対照的で印象に残っている。

夕日が重厚な感じだとしたら、月はホントに軽い感じ。白っぽい金箔を空に貼り付けたような。

写真撮っておけば良かったなー。

 

わたしにとって4月は細かい雨が降って、まだちょっと肌寒いイメージ。

好きな曲の中にそんな感じがする曲があるからだと思う。

そして、世の中に音楽が無かったら、

きっと、もっとストレスがたまるだろうと思う。

 

もうすぐ5月。

私にとっては、ちょっとだけ特別。

今年はどんな風に過ごすんだろうか。

ゴールデンウィーク明けに引き落としが集中するらしい。

確かに。

あーっ、やっぱ私にロマンチックなんて言葉は無縁だわー。

今年はお金の計算に追われて1年が過ぎいいきそうな予感。

現実的な私には、やっぱりいつもの5月が待っている気がする。

必要以上に夢はみないでおこう。

必要未満の夢はいつも心の中に持ってる。

じゃないと生きていけないから。

それは、自分が明るい気持ちで生活していけるぐらいの夢。

夢というか私の場合は別世界を思い描く。

現実逃避なのかもしれない。