眉間の縦ジワ

眉間のあたりに縦に入るシワを“苦悩のシワ”と呼ぶのか呼ばないのか、はっきりとは知らない。

何か考え事してたり、悩み事があったりすると気づかないうちに出来てる。

だから“苦悩のシワ”という呼び方はぴったりに感じる。

何十年も前にテレビで誰かがそう言っていた気がする。

自分の中に、その言葉だけが残っている。

 

私は子供の頃から、このシワが入らないように意識してきた。

でも最近、物を見る為に目を使う仕事だからか、

仕事帰りの車内のミラー にうっすら“苦悩のシワ”を見つけた。

気をつけてたのになー、と指先で自分の眉間をこすってみる。

そして、またそれから気をつけるようにしてる。

幼い頃に母に注意されてから何十年も気になっているのだ。

まだ幼い我が子が眠ろうと目を閉じたけど、眉間のあたりにシワが寄っていたら、親として気になったんだろうな。

 

中学生の頃に、美術の時間に人物のデッサンをした事があった。

友人からこっそりと自分の分も描いて欲しいと頼まれた。

他人の分なので丁寧に学生服のシワを書き込んだ記憶がある。

先生がその場で気になった作品を手にとって皆んなに紹介した。

自分が描いた友人の絵を見た先生が、それを皆んなに見せながら何か言っていた記憶がある。

そして「神経質な絵だなぁ」と付け加えた。

その時、私って神経質な性格なのかもしれないなと思った記憶ある。

他人のだから丁寧に描きすぎてシワが多かっただけかもしれない。

それが面白いと思ってもらえたのは幸いだった。

 

眉間のシワには神経質な性格のイメージもある。

大人は仕方ないけど、幼い子の眉間にシワがあるのは問題かもしれない。

眉間にシワが寄った方がいいのは、お芝居をしている時の女優さんとか俳優さんぐらいだと思う。

眉間のシワの有効活用。

あと男性は年齢によるシワも渋みっていう魅力に感じてくるから、とっても羨ましいなと思う。

人生100年時代。

心身ともに健康的でいたい。

楽じゃないけどね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

メイドインジャパン

いろんな職を転々としてきた。

今は地方の工場で働いている。

いま携わっているのは、ある製品の検査の仕事だ。

可か不可かの判断。

これは日本人に限ったことではないのかもしれないけど、わりかし皆んな苦手だったりする。

自分も含めて周りはほぼ派遣。

特に私なんか短期契約。

だから案外こういう仕事をふってこられる。

若い頃に正社員で同種の会社にいた経験もあり、確かに全くの無知ではないかもしれない。

でも、実際に検査という工程の仕事は初めてだ。

ある本で、日本人は白でも黒でもなくグレーを好む人種だと読んだ記憶がある。

この仕事をし始めてまだ間もないけど、メイドインジャパンてブランドも危うくなってるなと思う。

100円均一でも何年か前から日本製が増えてきた。

この製品と一緒にしてはいけないけど「新品を提供する」という視点から観ると現状は100円均一の方が上回っていると感じる。

そして、扱っているのがシワになりやすい製品にもかかわらず、

私から見たら100パーセントNGな行為が普通に行われている。

皆んな、それを技術だと勘違いしているからだ。

でも、ここで検査してる誰にも責任はない。

派遣ばかり。

製品のことなんて正直言ってよくわからない。

最近は教育係の派遣さんに相談しても自分で判断するように言われる事がある。

一応、参考資料はあるので、それも見てみる。

でも、それは本当に最初の最初に参考にするもので、やっていくと例外が多い事に気づく。

完璧な資料など作るのは不可能だと思う。

必要なのは勘と経験だと感じる。

だから当然こうなる。

「はーっ、わかんない」

そんな時、最終的には一歩ひいて想像してみる。「自分がこの製品を使う側と仮定して、開けて出した時に新品と思えるか思えないか」

見返して一瞬、これ私なら許せないなって思ったらNGにしてしまう。

その判断が、正しいのか正しくないのかまでは教えてもらってない。

私に求められてるのは「とりあえず決めてっ」って事だと思っている。

今回のこの職場での仕事は、今のところこんな感じらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

プロフェッショナル

何の仕事をしても自分に欠けているなと思うのは『真面目さ』だと感じる。

真剣に取り組んでいるつもりだ。

でも、どこかでは不真面目なのかもしれない。

過去の習い事でもそうだった。

行事に参加してもそうだった。

周りの熱量についていけなくて疎外感を感じることが多い。

これは、どうしてなのか。

 

自分を本能的に守っている。

 

という自分なりの答えに行き着いた。

常に自分の心の中に遊びの部分、余裕を少しでも持っておこうとしてるんだと思う。

全てを何かにささげる事が怖いのだと思う。

 

NHKのプロフェッショナルという番組をたまに見る。

あれ見てると、プロフェッショナルとは何かに自分の全てをささげる事が出来る熱量の高い人という印象を受ける。

当然、そうならざるをえないのだと思う。

でも、本当にそうじゃないとプロフェッショナルにはなれないのだろうか。

 

そこで、勝手に見方をを変えてみる。

 

プロフェッショナルとは、

なんか変な人たちなんだけど、

ある意味で筋が通っていて、

いつの間にか周囲の人たちを納得させてしまう魅力と実力を兼ね備えた人達。

自分で好きなことをやりたい人達。

自分の夢を実現するために具体的に考えて行動することができる人達。

 

夢を実現することは、予算があれば誰でもって変だけど案外出来てしまうことだと思う。

でも、何も考えずに先に形が出来てしまうと、これは大変だろうなと思う。

成功してる人達は、何が違うんだろう。

きっと全てが違うんだ。

努力とか才能とか全てひっくるめて。

特別な人達に感じるけど、自分と同じ様に悩んでる時もあって。

そんなところに魅力を感じて憧れを抱くのかもしれない。

好きなことして食べていける人生。

それがプロフェッショナルな人生。

漠然と憧れてる。

そして、こんな気持ちの私はどこまでも凡人なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

令和

なんだろう。

今日はやけに静かで、これはこれで不安になる。

 

ふと目にした郵便物の

『ありがとう平成!祝 令和』の文字。

『令和』は、私は『冷静な日本』のような気がする。

最近の若い子たちって冷静だなって感じるから。

テレビのインタビューなんか見てても、それぞれに個性があって、それでいてさらっと自分の意見を言ってる。

その家庭の方針で違ってくるだろうけど、

今の子たちは、小学生ぐらいから動画でいろんな情報を得ている。

テレビのニュースでも、大人の醜態の動画が問題になってたこともあった。

冷静になるのもわかる気がする。

大学生や社会人がふざけているだけのような動画を小中学生で見ることができる。

自分たちが同年代のころは到底、知り得なかった世界だ。

東大の入学式の祝辞が話題なってた。

こんな時代だ。

納得だなと思った。

これは『東大』だけに言えることじゃないと思う。

大学に限らず、

『絶対に安心で揺らがないブランド』

なんて今の時代は存在しないってことなんだと思う。

自己管理が求められる時代。

大変な時代なのだ。

だけど、幼い頃からスマホタブレットに接している世代の子はすべてを自然に受け止めているように思う。

抵抗がない。

そう感じる。

これが『令和』の時代でどうなっていくか。

とてつもない不安を抱いている反面、若い人たちの現実的な明るさに救われている。

自分が思っているよりも、いい時代になって欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

生姜湯

私はブツブツ独り言を言う癖がある。

今日も嫌な事があって世の中に対して文句を言っていた。

悲しくなってきたので、自分なりに解決の糸口を見つけようと、やなせたかしさんの詩集を開いてみた。

去年のいつだったかアンパンマン展に言った時に購入したものだ。年配者向けらしく、とても字が大きくて読みやすい。いろいろ手にとってみて、この詩集が気に入って購入した。

その中でも、いいなって思うのを一つ。

「生姜湯」っていう詩だ。

 

辛酸なめて

年老いて

孤愁のおもい

身にしみて

生姜湯のんで

涙ぐむ

 

演歌みたいだ。

これ読んでたら「やなせたかしさんも、いろいろ嫌なことあったんだなー」と思って、

部屋の中でブツブツ独り言を言ってる自分が恥ずかしくなった。

そして「なんで生姜湯なんだろう」という事が気になってきた。

これは、浅いのか深いのか。

いや、やなせたかしさんなんだから深いに違いない。

しばらく考えたんだけど「生姜湯っていう歌詞の演歌って聞いたこと無いかもなー」っていうとこで思考が止まった。

「生姜湯」は私にとって、どうしても抜け出せないブラックホールのような詩だ。

この詩集を読んでると「老いる」ってことを考えるには、私はまだちょっと若輩者な気がするけど考えちゃうな。

はー辛い。

 

幸せの感じ方

わりと最近、立て続けに二回「幸せやー」という男性の声を聞いた。

男性という事の他の共通点を挙げるなら、どっちも40代ぐらい。

一回目は身内の40代男性。独身。彼は夕食後に本当に幸せそうに「幸せや」と言った。

でも、その幸せは君自身が作ったものではない。不安ではないの?

きっと彼は楽ちんな事と幸せを勘違いしている。

私は彼と自分との温度差を感じて少し笑ってしまった。

二回目は、知らない人。たぶん結婚しててお子さんもいそう。

普通の作業着を着た一般男性が同僚とコンビニから出てきた。

いいお天気。

南側にあった駐車場の方を向いて歩いていく。

そして、コンビニで買ったのだろうか、まだ開けてない缶コーヒーを片手に持って半分伸びをした。

そして、唐突に「あー、幸せ」と言った。

いきなりどうしたんだ?っていう笑いが起こった。

その後ろ姿も全てが、まるで缶コーヒーのCMのようだと思った。

この人は本当に「幸せだ」と感じている。

楽している人ではない。

そう思った。

 

 

 

お金の使い方

コンビニのレジ待ちの列に並んでいた時のことだ。私の前の男性のお客さんがお会計になり、店員さんにポイントカードがないか尋ねられた。

男性は「あっ」と言って財布の中を探してからポイントカードを出した。コンビニのレジの所には大抵、募金箱が置いてある。男性はオツリを受け取ると店員さんから受け取った全ての一円玉と五円玉の7円を募金箱に入れた。

飴だかガムだかを一個買っただけだ。ついたポイントは1ポイントほどだろう。ということは、この男性は金額的な事だけでみるなら、1円得してるはずなんだけど7円募金したので6円損してることになる。

お金の使い方には個性がある。誰一人として同じ使い方をしない。そこには、いろんな意味が込められている。物事の優先順位とか価値観というようなものだと思う。

私は、この男性に対して「これも、この人の良さなんだろうな」という程度の好意を抱いた。女性でもあの募金箱にお金を入れる人はいると思うけど、募金していくのは、ほとんどが男性だと思う。あそこにお金を入れていくのは男性特有の行為ともいえる。そして、あの募金箱の設置はいい考えだと思う。

お金の使い方で、その人の人間性や人生観がわかる気がする。

もちろん、収入も人それぞれなので、余裕がある人もいれば節約してる人もいる。そういう理由でお金の使い方も当然、違ってくる。

でもやっぱりそこには何かが見えてきてしまう。

自分が一番大切にしたいもの。

自分がどうなりたいか。

その人や周囲の人の「幸せ」にも繋がっていく話だと思う。